ブログタイトルの「解放と喪失の狭間」は、ノアが亡くなってからの心情そのものです。
解放感と喪失感。いつもそのどちらかに気持ちの針が振れているような。
もちろん、亡くなって間もなくは喪失感がとにかく強かったです。でも、亡くなったすぐあとでも、例えば地震があったりしたら、ああ、もうノアのことを心配したり、守らなきゃと思わなくてもいいんだなぁ、という、解放感を感じたものです。
もう、ノアがどんどん不自由になっていく様を見なくていい、ノアの不調に振り回されたり、心配で心を痛めることもしなくてよくなった、そういった解放感。とても気持ちが楽にはなりました。
でも一方で、ノアがいないこと、わたしの日常の空間からも、時間からも、ノアがいなくなってしまったことは、悲しくて、ふとした拍子にとてつもない喪失感に襲われます。

ノアが亡くなってから、伊豆の日帰り温泉と、ディズニー・シーに出かけました。
長時間留守にするようなお出かけは、ノアがある程度元気だったときでも、お出かけ前に、ノアの散歩を済ませて、40分離れた実家に預けに寄ったり、当然帰りにはまた実家に寄ってノアを引き取ってから帰宅したりと、それなりの負担がありました。
いよいよノアが寝たきりになってからは、実家に預けて出かけるのさえ心配で、お出かけは、ノアを一緒に連れて行けるようなところにしか出なくなりました。
だから、伊豆の日帰り温泉も、ディズニー・シーも、朝からなんの気兼ねもなく、家から目的地に出発できることや、日中もノアの心配をしなくてよくなったんだということに、しみじみ解放感を感じました。
でも、車での移動中や、日中楽しく過ごしているときにも、なにかが引き金になって、ふっとノアのことを思い出し、ズキュンと喪失感に胸を撃ち抜かれるような瞬間も、いくつもあります。
表情にも口にも出さずにやり過ごせることもあれば、ポロリと旦那様に弱音を吐いてしまうこともあります。
それこそ、銃で狙撃されたかのように、ううう、と胸を押さえて、その場にくずおれそうになったり。
周りの人がびっくりしてしまうので、まだ一度もやってませんけど(笑)。
愛犬を亡くして1ヶ月半。いまはそんな心情です。

コメント
文面を拝見させて頂きながら…大きく、うんうん…とうなずいていました。
まさに…亡くした当初…そして気持ちの対応がなんとかなってくるまで、
みみまる様と同じ気持ちで生きていたと思います。
(私は文章力がないので、的確に潔く上手に表現は出来なかったのですが…。)
丁度、震災がくる前に亡くしていたので、
あの節電の時期とか、ガソリン不足とか…大きい余震とか…
もし、ななみが居たら…定期的な通院が必要な時だったら…とか、
白血球の培養をしている時だったら…どうしただろうって、本当に毎日思っていました。
だから、「解放」という言葉の大きさも、痛い程解ります。
そして、その亡くしてしまった存在の大きさを知った心も…。
もっと、もっともっと、ノアさんのお話聞きたいです(*^_^*)
みみまる様、少しずつ…焦らず…元気になってくださいね!
>ななもりうぃるまま様
最後の方はもうノアと共依存状態で、精神的のも辛かったので、
そこからの解放とうのもあって、気持ちとしては楽にはなったと思います。
ノアとしても、不自由で苦しい日々から解放されて、よかったんじゃないかな、
とも思えます。でもやっぱり寂しいです(^_^;A
あと、ノアという癒しがなくなったせいか、先月はやけにイライラしてしまうこともあり、
自分ではコントロール不能で、旦那様にはいい迷惑だったかもしれません(苦笑)。
私は中学生の時に愛犬を亡くして、相当悲しんだのを覚えていて
でもお世話の大半は母だったのです。
今、自分が1番のお世話係で、もしいなくなったらと想像するだけで胸がグサっとします。
でも喪失感とは逆に解放感というのはすごくわかります。
長い時間、病気と闘って苦しい姿も見て・・いつも心配して。
そういうことから解放されて安堵と悲しみとで気持ちが行ったり来たりしているのでしょうね。
いっぱい思い出を綴ってノアちゃんを語ってください!
>ロビンママ様
わたしも中学の時に一度、愛犬を亡くしていて、
すごい悲しくて、そのときもひどく泣きはらしました。
ただ、その子は外飼いだったし、
事故で突然(それはそれでショックですが)でしたし、
ノアとの関係性とはかなり異なっていましたので、
比べてしまえば、やっぱり今のほうが辛い気がします。
自分を癒すためにも、たくさん思い出を載せていきますよ~♪